キリリクドリーム小説・39000番・スズミ様へ
『艶やかなる花言葉を』



―――これは私と『彼』だけの秘密…

はいつものように買い物に出ていた。
中流貴族の夫人らしく、優雅に午後の買い物を楽しんでいる。
どうやら今日は外が少し騒がしい気がした。
待ち往く人間の話に何気なく耳を傾けていると、港に海賊船が停泊しているのだとか。
はあまり興味を示さずに表情を繕って、買い物を済ませる。
買い物といっても、必要なものは家来のものがなんでもやってくれていた。
だから、は彼女にとって興味が惹かれる物だけを購入すればいい。
心の中で海賊とはどういうものなのか、慣れきってしまった微温湯のような日常を覆す面白い話はないものかと期待に胸を膨らませながら。
「…あら。この花…あまり見ないわね?」
特に必要でない花の束をそっと胸に抱く。花の香りが自分の鼻孔を擽った。
名前も知らない花。
花屋の主人がそんなに声をかけようとした瞬間だった。
「…あぁ、アネモネだねv」
後ろから甘い囁きのような不思議な音色がの耳元で囁かれる。
その瞬間、は全身の力が抜けてしまうのかと思った。
耳元に触れる息遣いがあまりにもくすぐったい。
こんなにも魅惑的な音色をは今まで一度も聞いたことがなかった。
「風の花…、妖精アネモネの化身とも言われているけどね」
「そ、そうなのですか…」
そうして、声の主に振り返った瞬間、はその自分の行動に酷く後悔した。
見てはいけなかった。
彼の姿をこの目にしてはいけなかったのだ。
黒い眼帯を左眼に巻いていて、右目の緋色のような艶やかな瞳。
太陽の光を一身に受け、少し焼けたような色をした琥珀の髪。
その髪はまるで波打っているかのごとく、柔らかい動きをしている。
「…そう、美の女神アフロディーテは、 キューピッドの射た愛の矢に誤って傷つき、美少年アドニスと恋に落ちた。
ところがそのアドニスは、猟に出た日に、イノシシの角に突かれて死んでしまう…。
そして…アフロディーテが悲しみのあまり流した涙がアネモネになった、といわれているのだよv」
言葉を返せずには胸に抱いている花の説明を口にする男を見詰めていた。
「…アネモネの赤い花の色は『血』と『生命』の 象徴とされているね」
その瞬間、はばっとその花を地面に落とす。
「おっと…、大丈夫かい?」
艶っぽい笑みを浮かべながら、業とらしく彼はそれを拾うと、の腕の中へ戻した。
「俺の所為で驚かせてしまったようだね。…この花は俺が美しい君に捧げようv」
「…あっ!」
はっとしたが、その瞬間には手遅れで、彼はもう花屋の主人に勘定を払ってしまう。
「ありがとう…」
は軽くお礼を口にすると、もう一度彼の姿を眺めた。
大きな黒い帽子を被っていて、それが海賊のものであることを理解する。
眼帯の理由も頷くと、はこれ以上関わらないようにと心の中で繰り返した。
「…それではこれで」
ずっと彼の美しい姿を眺めていたいという気持ちがなかったわけでもないが、恐れるべき海賊だとわかって、足を進める。
「おや、それはつれないね…v」
足を速めても、男は軽い笑みを浮かべながら同じように隣を歩いてきていた。
「こんな美しいご婦人を一人で帰すわけにはいかないからねv送っていこう」
「いえ、そんな初めて会った方にご迷惑はお掛けできませんから」
彼の顔を見ないようにしながら、は益々足を速めた。
長い緩やかな坂道が苦痛になってくる。
「…そうか。ふむ」
すぐ横で男が何かを思いついたらしい。
「俺はダーダイル。さて、せめてもの慰めに俺に君の名を教えてはくれないかな?」
「…は?…私は…と申します」
名乗るだけで彼が諦めるのであればと思い、は自分の名を告げた。
「…ふふ、ありがとうv…さて、これで知り合いにはなったわけだ。送り届けさせていただこう」
「なっ!」
は思わず、足を止める。
「…ふふvやっと、止まってくれたねv」
「…あぁ、貴方は一体…」
深い溜息を漏らしながら、は緋色の瞳を見つめた。
「…俺はダーダイル。今、この港で噂を独り占めしてしまった海賊船の頭だったりするかな…?」
「…失礼致します」
くるりと回り右をしようとした瞬間、の腕をダーダイルが掴む。
「な、なにす…」
「しっ。ちょっとこっちに来なさい」
問答無用でダーダイルがの腕を引っ張り、坂道の間にある隙間の路地裏へと身体を隠した。
はダーダイルと体が密着するのを感じながら、そっと胸に抱いていたアネモネの花の香りを嗅ぐ。
まるでその花に毒されてしまったかのように心臓が大きな音を立てていた。

路地裏にいる自分たちに気づかずに、先ほどまで立っていた坂道を数人の屈強な男たちが駆け抜けていった。
「たっく、お頭、どこにいったんだ!」
「きっと、また綺麗な女でも見かけて世話になってるんだろうよ!」
「あぁ、ジャグルさん、こっちはどうでしょう?!」
口々に言葉を吐き出しながら、男たちは忙しなく過ぎていく。
「…うーん、まったくしつこいやつらだねぇ…」
呆れたようにダーダイルが溜息をついた。
「貴方の事、捜してるんじゃないんですか?」
冷静さを保ちながら、は精一杯の台詞を口にした。
動揺が隠し切れずに言葉が少しだけ震えてしまう。
「…あぁ、いいんだよv騒ぎたいだけ、騒がせておけば、ネ?」
ダーダイルの指がそっと、の顎をあげた。
「…ふふ、今は君と話したいからねv」
「折角のお誘いですが、私は結婚もしていますし、ちゃんと夫も生きて…」
「しかし、待ち望んでいるものは来ないと」
「…え?」
は思いがけない彼の言葉に動きを止める。
「君は変化を望んでいるようだけどね…v」
「…んっ!」
ダーダイルの唇がそっと重なった。
は迂闊にも唇を許し、隙をつかれたのだ。
「…俺がその苦しみを慰めてあげるよ…?」
「貴方は…何を…」
「大丈夫」
ダーダイルの手がの髪をかきあげる。
「君の潤んだ瞳は全てを語ってくれたからね…v」
甘い囁きがの全ての思考回路を止めていた。


たった一夜限りの過ち。
は呆然と自分の乱れた衣服に手をかけながら、隣で眠っていたはずの男の姿を探し求める。
しかし、彼の姿はどこにもなかった。
太陽が昇ってきていて、朝がやってくることを告げている。
「あぁ…そういえば、あの人が帰ってくるんだった…」
自分の夫が出張の仕事を終えて、今日の夕方過ぎに戻ってくる。
愛してはいたが何か物足りない存在。
願っていたのは幸せな家庭を築きたいということ。
しかし、夫とは子供ができなかった。
それは自分の責任ではなく、夫の方に原因があった。
だから、仕方ない事…。
微温湯のような関係がずっと二人っきりのまま続いていく。
望んでいたのはアクシデント。
刺激的な非日常。

「どこまでも自分勝手な…男」

は苦笑しながら、一粒だけ涙を溢した。
押しかけてきたのは彼の方だったはずなのに、いつの間にか、姿を追い求めていたのは自分になってしまった。
たった一晩だけを共に過ごしたというのに。

「奥様、贈り物が届いております…!」

は心臓が跳ね返ってしまうかと思った。
自分の衣服を丁寧に着なおしながら、慌てて返答する。
髪も整えた後、は驚いている声をあげている執事の元へ走った。

そうして、執事の元へ辿り着いた瞬間、目を大きく見開いたまま硬直した。
薔薇の気高い香りが玄関先を包み、鮮やかな真紅が景色を変えている。

『薔薇なる花は恋の花。薔薇なる花は愛の花。薔薇なる花は花の女王…。
親愛なる君に捧げよう、俺だけの花の女神へ…』

「…あぁ…!」

はメッセージカードを胸に抱きしめながら、そのまま膝を折って泣き崩れるのだった。


数ヵ月後、は身篭っていた。
それは一夜限りの過ちの延長線。
誰も何も口にせず、ただただ『おめでとう』と笑った。
きっと、緋色の瞳と黄金のような琥珀色の柔らかい髪を持つ子が生まれようとも、夫はきっと穏やかに笑うのだろう。
あの日届いた薔薇の香りは噎せ返るように今も玄関先に染み付いているのだから…。
胸に染み付いているアネモネの花の香りと同じように…。


こちらは39000番を踏まれたスズミ様のリクエストです。
初のキリ番リクエストドリームだったのですが、喜んでいただければ幸いです。
というか、人妻とのアバンチュールですか…!
ダー様よ!!(笑)
すみません、ツッコミ所満載ですが気にしないでくださいネ(爆死)