【触発】


「あぁ、リリスさん、お帰りなさい」
大きな買い物袋からオレンジを取り出しながら、コルチェが微笑んだ。
扉を開けた瞬間に向けられた満面の笑顔に戸惑いながら、リリスは微かに微笑み返す。
少しずつ、その微笑みからぎこちなさが消えていくのがコルチェには嬉しかった。
「…そういえば、今日はどこに行かれてたんですか?」
空になった袋を片し、キッチンのテーブルに両肘を突いているリリスを見る。
「…私?」
リリスはほんの少し間を置いてから、言葉を紡いでいく。
「…街の中にあった公園まで」
瞼を一度閉じてから、彼女は続けた。
「記憶が戻るように色んな場所をみてきたんだけど、頭痛がひどくて」
「…そうですか」
リリスの言葉に残念そうに肩を竦める。
「…すぐにきっと思い出しますよ」
優しい微笑み。
「あ、紅茶でも飲みませんか?…さっき、買ってきたばっかりのものが」
「…ありがとう」
彼のその優しさがリリスの何かを包み込むような感じがした。

世界が色を変えていく。
(…やっぱり不思議ね)
リリスは口元に小さな微笑みを浮かべた。
コルチェとルシフェルの二人は、きっと特有の何かを放っているのだろう。
リリスを安心させてくれる何かを…。


「…リリスさん、まだ熱いので気をつけてくださいね?」

優しい音色がリリスの耳横を流れる。
心地良い響きだ。

「…あの、リリスさん、大丈夫ですか?」
「え…?!」
リリスはその雰囲気に心地良さを感じていたところだった。
だが、コルチェから見れば、何か考え事をしているように見えたのだろう。
リリスの頬にコルチェの指が触れていた。
綺麗なアイスブルーの瞳がすぐ目の前で心配げな光を放っている。
「…あ、だ、大丈夫」
瞬きを何度かしてから、リリスは慌てて淹れてもらった紅茶が入っているティーカップに手を伸ばした。
ほんのりと染まった頬が異様に熱を帯びている感じがする。
「あ…っ!」
「リリスさん!」

ガッシャンっ…

キッチンにガラスの破片が飛び散る音が響いた。
床に紅茶の液が広がっていく。

「…大丈夫ですか?」
「え、えぇ…」
自分の手を少し庇いながら、リリスはコルチェに笑顔を向ける。
手に感じた熱よりも、頬の熱の方が熱そうだった。
「…手を見せてください」
「だ、大丈夫よ」
コルチェの瞳から視線を外す。
「いいから、見せて!」
彼女のその行動にコルチェは珍しく声を張り上げた。
コルチェの手で無理矢理に開かされた手の平の一部が赤くなっていた。
「…何が大丈夫なんですか?…冷やしましょう、ね」
リリスはその声に素直に頷く。
頬から耳へ…顔全体が熱を帯びる。

「ごめんなさい…」
「…どうして謝るんですか?」
俯いたリリスを不思議そうにコルチェは見つめた。
冷たい水がを流れていく。
それを感じながら、リリスは平静を保とうとしていた。
「わ、わからないけど…なんとなく…」
「ふふ、本当にどうしたんですか」
可笑しそうに笑ってから、コルチェはリリスの頭を優しく撫でる。
「…大丈夫ですから」



波紋が広がっていく。
手を伝う冷水と同じように…


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