【過去】


着々とその準備はされていた。
年に一度の収穫祭。
毎年、収穫を祝うそのお祭りが近づくと、街はやけに賑やかさを増す。
ルシフェルは通り過ぎては頬を赤らめて微笑む女の子達に笑顔を返しながら、一軒の店に滑り込むように入った。
不思議な雰囲気を放つ、独特な店だ。
『占いの館:ローレライ』
店の看板にはそう書かれている。

「も〜、まだ開店前なんだけど〜…」

中から少し高めの音域の綺麗な声が聞こえてきた。
ルシフェルはその少し迷惑そうな声に気にもしない様子で黒いカーテンの布地を払う。
「悪ぃな。…少し邪魔するぜ」

それから、店の中の中心にあった椅子に腰を下ろした。
その向かえの椅子に座っていた透き通るような水色の髪を持つ彼は軽く溜息をつく。
間に挟まっている水晶球をのせたテーブルの上に肘を突いている様が少し拗ねているようだった。
「っていうか、毎度毎度…ルシちゃんってばいきなりよねぇ〜…?」
「だから、悪いなって言ってるだろ」
「…そうだけど〜。わざわざ女の子達から逃げる為にここに来なくても〜」
「…あのな、レイ」
ルシフェルは少し頭を掻いてから、嫌気が差すように間延びした口調の彼を制する。
レイと名前を呼ばれた彼は、長い睫毛の隙間から覗くようにルシフェルの次の言葉を待った。
「…俺は客じゃねぇんだから、その女口調辞めろ」
「あらあら〜…どうしてぇ〜?」
小さな笑みを零しながら、レイは軽く口紅を塗っている自分の唇に小指で触れる。
その仕草がまるで本物の女性のようにごく自然な艶っぽさだった。
「…あのな。…お前がそれを素だって言うんならともかく!」
ルシフェルは水晶球のガラス越しにレイを強く睨む。
「わざとやってる分は気持ち悪ぃんだよ!!」
「あは〜ん。そうかしら〜…?」
レイは悪ふざけを楽しむようにケラケラと笑い出した。
「…まぁ、でもルシちゃんに嫌われちゃ嫌だし〜…」
レイは少し表情を引き締めると、自分の髪を後ろで一つにまとめ、ヘアゴムでとめる。
「…で。なんで、女の子にあんな厳しい事しちゃったわけ〜?」
声のトーンが少しだけ男らしくなったが、相変わらず間延びした口調は相変わらずでレイはルシフェルに尋ねた。
「…さぁな」
「…アーシャ、傷付いてたよ〜?見る?」
レイの言葉とともに水晶球が妖しい輝きを放つ。
「…辞めろ。んなもん見たくねぇよ」
「…ふふ、そうだと思ったよ〜」

暫くの沈黙が走って、ルシフェルがぽつりと言葉を漏らした。
「お前…」
「ん?何〜?」
「お前さ、対客用の女言葉。…わざとだったよな?」
その言葉にレイは口元を緩めた。
「…そうだけど〜?…何?」
「…お前もどこかで境界線をはってるんだよなって」
「あ〜。心外だなぁ〜?私は、ルシちゃんみたいには軽くないけど〜?」
「…あのな」
「…でも、境界線を張っているとこは同じかもねぇ」
呟きにも似た声が少し笑っていたようだった。
「ルシちゃんは本気にはならないからねぇ〜。そういうとこ、羨ましいと思うよ〜?」
「……」
「…まぁ、今は少し違う状況か」
ルシフェルの無言にレイは水晶球を眺めて笑みを浮かべる。
そこに映った黒い翼を持つ何か。
「…私もね、本気だったんだよ」
「…は?」
ルシフェルがレイへ顔を向けると、彼の表情が少し切なげに笑っていた。
「…本気でね、愛していた女性がいたんだよ〜って」
「そりゃ、初耳」
「…ふふ。そりゃあねぇ〜。いつの話か判らないしね〜」
小さな妖しい笑みが口元に溢れて、そのまま瞳からも何かが零れ落ちそうだった。
「…彼女はね、お客だったんだ」
長い睫毛が下に俯く。
「毎日のように私の店を訪れては、占いをしていったり、
その日彼女に起こった日常を私に話してくれたんだ」

いつからだろう…?
彼女の訪れがなくなったのは…?

零れ落ちてきた自分の髪を掻き揚げながら、レイは綺麗に整った顔でルシフェルに微笑んだ。
「私はね〜…、今もその彼女を愛しているんだ」
「……そうだろうな」
ルシフェルも彼にそっと微笑み返す。
「だから、あの女口調は彼女が戻ってくるまで…、他の女性へ心変わりしないための私のケジメ」
レイは小さく笑って器用に片方の瞳を閉じて見せた。
「彼女が私の元を訪れてくれるまで、…ずっと待っている」
「…あぁ」
「ふふ、馬鹿だって笑っていいよ〜?」
「…笑うかよ」
ルシフェルは重い腰をあげてから、レイの額を小突く。

「ルシちゃんは後悔しちゃだめだよ〜」
店を出て行こうとするルシフェルの背中にレイの透き通るような声が投げかけられた。
「君は待てるタイプじゃないんだし〜♪」
「…あのな」
「…ねぇ、彼女、連れておいでよ。…私は暇だからさ」
「……」
ルシフェルの言葉を止めてから、レイは水晶球の横に置かれていたタロットカードを手に取る。
「…気が向いたら、な」


黒いカーテンが空間を閉じた。
人の気配がしなくなった薄暗い店の中で、彼は今日も水晶球に語りかける。
「…素直じゃないんだから」

小さな呟きと笑みはそのまま零れ落ちて、そしてそれは涙へと変化する。
彼はただひたすらに待っているから。

遠い過去になってしまった愛する女性。
水晶球に映る、幸せそうな彼女の笑顔をかき消しながら、ただひたすらに待つのみ。

後悔はしていない。

ただ願うのは自分の過去とは違う結果。

悪友の未来はただ彼が笑える幸せな結末であればいい。
黒い翼の天使はきっと悪友の心に根付き始めているから。


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