【真実】


全身を回っていく怠惰感。
視界に入るもの全てがリリスには虚ろなもののように見えた。
誰かの足音が近づいてくる。

「…さぁ、そこをどきなさい」

冷たい声。
(この声を…私は知っている気がする…)
自分を殺そうとした筈の男の声。
それはたしかにその声だったが、それよりも前に…。
リリスの脳裏に幾つかの記憶が巡っていく。
だけど、答えに辿り着く事は出来ない。

「…嫌です」
真っ直ぐな声が鈴の音のように凛と響いた。

(コルチェ…?)
虚無のような世界の中でリリスはぼんやりとそう想う。

「…こいつのこれ、あんたの仕業だろ?外せよ」
イラついたような感情剥き出しの声。

(ルシフェル…)
音色が静かにリリスの中に溶け込んできた。

(あぁ…ごめんね)

「…二人とも、私…ごめんね」

涙がぽつりと一粒零れる。

「…ふぅ。どうやら、すっかり騙されているみたいですねぇ?」
淡々とした口調でヨーグルは溜息を吐いた。
「二人とも、いい加減にしないと…、いくら温厚な僕でも怒りますよ?」
どこか毒の入ったような言い方。
優しい笑顔の下に何か迫力があった。
「ですから、嫌です」
それに負けずにコルチェが穏やかな笑顔で切り返す。
「……やれやれ」
深い溜息がざわめきの中に大きく吐かれた。
「皆さん、危険ですから少し離れていただけますか?…世話の焼ける」
周囲の人間に警告を発してから、ヨーグルは口笛を吹いた。
その音色は無色透明な…そんな音色。

「…っ!?」

誰もが顔を見合わせて硬直する。

―――グルルッ…!

誰かが悲鳴を発した。
それに便乗したのか、周囲の人間達はその場から大きく後退していく。
恐怖の色が大きくなっていくのがリリスには判った。
「…あいつは…っ!」
ルシフェルが弱っているリリスの肩を抱きながら、驚いたように声を上げる。

赤い髪が乱れて、大きな獣の耳が頭から剥き出していた。
金色の瞳は今は狂気の色を帯びている。
手足は毛むくじゃらになり、荒い息遣いが大きく響いていた。
彼の首にもリリスと同じ首輪が見える。
(…バンバンっ…!)
「初めて会ったときに見分けがつきましてね。…ふふ、驚いたでしょう?」
冷たい声が胸を刺す。
(あぁ…)
リリスは知らず知らずのうちに同胞と出会っていたのだ。
安心したのは仲間だったから…。

「…そうですね」
「そいつに関しては」

双子が同時に言葉を漏らした。
「…は…?」
ヨーグルが少し間の抜けた返答を二人に返す。
それを見てコルチェとルシフェルはお互いの顔を見ずに同時に笑った。

「神父、リリスさんの正体は知っていたんですよ」
「そう、騙されてるってあんたは言ったが、俺らはこいつの正体を知っていたさ」
『だから』

二人の言葉が重なる。
「…んっ?!」
まず、コルチェの唇がリリスの唇に触れた。
「…んあっ」
彼の唇が離れた瞬間、すぐにルシフェルの唇も触れる。
二人の生気が急激に体内へと入ってきた。
リリスの身体を駆け巡っていく。

「…なっ、何を…っ」
ヨーグルが驚愕の表情を浮かべていくうちにリリスの首にある輪のようなものが色薄くなった。
(…二人とも…)
涙がもう一度頬を伝う。
(私は…っ)
輪が完全にその姿を消した時、リリスの背中から今度は自分の意志で黒き翼が綺麗に広がった…。


back  next