【悪夢】


リリスは夢を見ていた。
それは遠い記憶。

『ねぇ、リリス、僕を殺して』

誰かがリリスにそう笑いかけていた。
あれは誰だっただろう。
長い悪夢の回廊を抜けるようにリリスは自分の前髪に触れた。
美しい金色の髪がパサリと額に落ちる。

「おー、お目覚めかな?お姫様♪」
「え…」
リリスは慌ててベットに横になっていた体を起こした。
部屋の扉の前に銀髪の髪を持つ青年が立っている。
「…あなたは誰?」
唇を小さく動かして言葉を紡ぐと、青年は妖しい笑みを作った。
「俺はルシフェル」
ルシフェルと名乗った彼は、じっとリリスを見つめる。
「…コルチェからまだ聞いてないのかな?」
(コルチェ…)
リリスは落ち着いてから、小さく頷いた。
「…わかったわ。私を助けてくれた人ね」
「あぁ。…眠りから覚めてくれたようでよかったよ」
軽くウィンクをしてみせてから、ルシフェルは笑う。
その時、小さな音をたてて、彼の左耳についている十字架のピアスが揺れた。
「腹は減ってないか?…おいで」
甘い囁きにも似た声で、ルシフェルはそっとリリスに手を差し伸べる。
「コルチェのやつが作った食事でも食べに行こう」



コルチェとルシフェルの家は、彼ら二人が住むには広すぎるような印象を受けた。
どうやら二人は双子の兄弟のようだったが、二人性格は全く似ていないものだった。
「リリスさん、どうぞ好きなだけ食べてくださいね」
穏やかな笑顔でコルチェが戸惑っているリリスに言葉をかける。
「こいつ、料理だけは才能あるみたいだし、味は俺が保証してやるよ」
「ルシフェル、お前は少しは遠慮してくださいね」
目の前で交わされる二人の会話。
そして、目の前に広がる料理の皿。
(…こうやって、誰かと食事を取っていたのかしら)
空虚な記憶にリリスはそっと溜息をついた。
思い出そうとすると、頭の端から痛みが襲ってきて、彼女の行為の邪魔をする。
「じゃ、いただきます!っと」
「えぇ、いただきます」
コルチェとルシフェルが食事前の儀式のように手を合わせてから、そう言った。
「…いただきます」
リリスもそっと真似をする。
(…私はどういう人間だったんだろう)
口に広がる不思議な感覚に懐かしさのようなものを覚えながら、ぼんやりと意識を飛ばす。
(…こうやって、二人のように一緒に食事をする誰かがいたのかしら)
「……」
(その人は、私の帰りを待ってくれているのかしら…)
温かい温もりが、そっと心に灯った。

しかし、この温かいものが増えれば増えるほど、リリスは夢をみている感じだった。
そう、一見幸せそうな夢。
だけど、目覚めた瞬間の虚ろに砕け散ってしまう。
それこそが真実の悪夢なのだ。

「ごちそうさま…」

微かにぎこちない笑顔を二人に向ける。
ただ今は何も知らずに…


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