【甘美】


『リリス…、リリス…おいで』

声が聞こえた。
甘い音色にのった静かな響き。



(あ、なんだろう…いい匂いがする)
リリスはぼーっとする頭を押さえながら、二人の家の中を彷徨っていた。
二人の言葉に甘え、リリスは記憶が戻る少しの間、家に泊めてもらうことにしていた。
(…あ)
漂ってきた甘い香りを嗅いでいくと、どうやらそれはキッチンの中からのようだ。
リリスがキッチンを覗くと、コルチェが立っていた。
ピンク色のエプロンを着用し、何か甘い香りの漂うお菓子を作っている。
「…あ、リリスさん。気分はいかがですか?」
キッチンを覗いていたりリスの姿に気がつくと、彼はそっと優しい笑みを浮かべた。
「うん、いい方だと思うわ…」
その微笑みを真似するように返す。
リリスの白い指が遠慮げにコルチェの手の中にあるものを指差した。
「あぁ、これですか?…ハニークッキーの生地を作ってて…」
「…美味しそう」
コルチェが丁寧に答えてくれたのを聞きながら、リリスは呟く。
彼女のその発言に小さく笑って、コルチェは既に焼き上がっていたものを奥の皿から取り出した。
「はい、どうぞ?」
手渡されたハニークッキーとコルチェの表情を交互に見つめてから、リリスは勢いよくクッキーを口に放り込む。
微かな甘さが口内に広がり、思わず彼女の表情はほころんだ。
「おいしい!…こんなに美味しいもの食べたの初めて」
ごく自然な笑顔をコルチェに向ける。
「…そうですか?…ふふ、嬉しいなぁ」
コルチェも満面の笑顔を浮かべた。

(うん、…なんだろう。甘くて…美味しくて…)
リリスは口の中に残っているクッキーの香りを楽しみながら、そっとコルチェの笑顔を盗み見た。
(…そう、コルチェもこんな味な気がする)
「……!?」
リリスは自分の考えにはっと驚愕の表情を浮かべた。
(私は…今、なんて…)
「…リリスさん?」
顔色の変わったリリスの表情を心配そうにコルチェが覗き込んだ。
「…ごめんなさい!」
リリスは慌ててキッチンから逃げるように出る。

(私…私は、なんてことを考えたんだろう!)
短い廊下を走りながら、自分の口を抑えた。
(…おかしい)
そして、貸してもらった部屋の中に滑り込むように入ってから、膝を床につける。
(…お腹が空いた)

しっかりと食事を取ったはずなのに空腹感がずっと彼女に付きまとっていた。
(…私、変だ…)
背中のある部分がとても痛い。
キリキリとした痛みが定期的にリリスを襲っていた。
「体が…熱い」



『リリス、…おいで』

熱っぽさが身体中を走り、脱力感がそっと彼女の全身の力を失わせていく。

『リリス…、リリス…』

冷たい声が甘い世界を作り出す。

『リリス、…おいで』


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