【無音】


「……ヨーグル」

リリスの頬にはいつの間にか零れ落ちた涙が流れていた。
溢れては流れていくそれは絶え間なく白い肌を伝う。

(…ごめんなさい)
胸の中で何度も繰り返し呟いた。
彼女の胸の中で響く謝罪の音色。
口に出してしまっては余計に彼を苦しめるそれ。

「…ふ、ふふ…」

ヨーグルの頬にも涙が零れ落ちた。
彼の苦しそうな表情が切なく胸を締め付ける。

「…既に〜この町の住民達には眠ってもらったわ〜」

占い師の言葉だけが静かに響いた。
「…って。それどういうことだよ?」
ルシフェルが眉を潜めながらレイの肩を掴む。
「…言葉の通り〜。…ふふ、安心して〜。2、3時間もすれば起きるから」
悪びれずに笑顔でそう答えると、レイはルシフェルの額を突付いた。
「…何すんだよ?!」
「…このカードの意味、あんたなら変えてくれる?」
取り出したのは死神の描かれたカード。
ルシフェルは一瞬、意味がわからずに呆然としていたがすぐにいつもの調子に戻る。
「…上等v」


「ヨーグル、…ごめんね」
リリスは遂に呟いていた。
彼の瞳がその言葉に反応して大きく見開く。
「…おねえさん、大丈夫?」
リリスの腕の傷を見ながら、小さくなってバンバンがそっと呟いた。
「えぇ、大丈夫…」
優しく微笑んで、彼の頭を撫でてあげてから、リリスは一歩足を進める。
「…ヨーグル」
もう一度彼の名前を呟いた。
「…リリス、僕は…」
ヨーグルが膝をついて、その場に倒れこむように脱力した。
リリスは勇気を出して足を歩める。
「…私を、許して」
涙が止まらずに、二人は顔を見合わせた。
「…僕も、許して…」
子供のような表情で、ヨーグルが近付いて来たリリスの服にしがみ付く。
「…僕は、僕はただ―」
(君に愛される事がないのなら…っ)
「…大丈夫」
リリスは優しくヨーグルの髪を撫でてから、穏やかな笑みで彼と同じように膝をつけた。
そしてヨーグルの顔をあげさせる。
「…苦しかったのね。辛かったのね」
腕から零れ落ちる赤い体液が地面へと何滴も吸い込まれていった。
「…あぁ、リリス…」
「…貴方のことを愛していたわ」
「僕も、ずっと…」
「…私は貴方の望みを叶えてあげる…」
ヨーグルがそっと瞼を閉じた。
リリスの黒い翼から何枚かの羽が抜け落ちる。
ゆっくりと彼女の唇がヨーグルの唇と重なろうとした。

「ダメ、ダメですっ!!」

強い力が二人を引き離す。
コルチェだった。
彼が二人の間に立ち入って、二人を引き離した。
「…コルチェ…?」
言葉を失って、リリスは涙をもう一度零す。
「リリスさん、止めて下さい。貴女も判っているはずでしょう?!」
コルチェが必死になって、叫んだ。
「…その愛情は違うって!命を奪い、人生を失わす手段は…道は…愛とは言わないっ!!」
(…コルチェ…、だけど私は…)
見失った言葉はなかなか出ては来なかった。
ヨーグルはそんな二人を見つめながら、生気を失ったようにぼんやりと彷徨っている。
「…なぁ、あんた、ヨーグル」
突如そこにルシフェルの声が響いて、次の瞬間にはヨーグルの頬を殴り飛ばしていた。
「ヨーグル!!…ルシフェル、どうしてっ」
リリスが小さく悲鳴を上げて、倒れこんだヨーグルを心配する。
「…どうしてもこうしたもないだろう?!」
今もなお泣いているリリスにイラつきながら、ルシフェルは言葉を返す。
「…リリス、そんな甘やかしはこいつには必要ないぜ」
「そうです…。バンバンくんのような子供に辛い事をさせたり、人を物のように扱うだなんて…!」
「それに、好きな女を真正面から口説くことも出来ずに、うじうじ悩んだ結果がこれかよ?」
「言語道断。ヨーグル神父、貴方にはリリスさんに近づく事も許しません!」
二人はすごい剣幕でそういうと、深い溜息を同時に吐く。
「ヨーグル、顔をあげろよ」
「……」
口の端から血を零しながら、ヨーグルがルシフェルの言葉に反応して顔をあげた。
その時の彼はもう抜殻のような表情ではなかった。
「…神父、貴方の人生はもう貴方のものだ。リリスさんにはもう関係のない、ね」

「…でも、コルチェ…私は」

小さな呟きが漏れて、リリスは困ったように眉を顰める。
「彼を愛していたのに…、愛していたはずなのに…、今はもう…」
(彼を愛する事が出来ない…。
そして…
そんな私が彼に責任を持てる唯一の手段は解放だけなのに)

「リリスさん、怒りますよ…?」
コルチェが冷たい音色でリリスを睨んだ。
「お前ね、お前の人生はお前のもんだろ?
愛なんて不変的なものじゃねぇんだよ!そしてその無くなった愛情の責任なんてものは誰にもない」
「…そう。その心は自由なんですよ」
二人がそこで急に笑い出す。
「だから、お前が好きならお前をもう一度振り向かせるようにこいつが頑張ればいいんだ」
「えぇ。男なら、それぐらいの気持ちで生きて欲しいですねぇ」
「…君達は…」
双子の言葉にヨーグルが苦笑して、ほんの小さく彼らを羨ましそうに見つめた。

「じゃあここで告白」
ルシフェルがヨーグルに一度視線を向けてから、再びリリスへと戻す。

「俺はお前が好きだぜ。リリス、お前を誰にも渡さない。
…だから、残念だったな。ヨーグル。矛盾するが、こいつだけは絶対に振り向かせられねぇよ」

「といっても、お前の気持ちが通じるとも限ってませんから。
…リリスさん、僕の言葉だけを信じてください。僕は自分に誠実に貴女の事を愛しています」

二人がリリスに同時に手を差し伸べた。

(…あぁ…)
リリスは呆然とその光景を見つめる。
黒い翼が縮小して、そのまま背中の中へと姿を消した。
(私は…)
見失った言葉が音も無いこの空間で小さなメロディとなって響いてくる。
それは小さな旋律だった。


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