【御守】


買ってきた洋服の山を見つめながら、リリスは部屋の床に座り込んだ。
全身の力が抜けてしまったかのように肩が下りる。
息がそっと漏れた。
「…あ」
そのまま視線が何かをとらえる。
小さな鈴のついた御守が洋服の山とともに床に転げている。
(…これは)
リリスは直感的にそれがコルチェのものだと判断した。
御守からもれる雰囲気が彼と酷似している。
甘い優しさのような香りがリリスを包むのだ。
彼女の金色の髪が流れるように動く。
(きっと、紛れちゃったのね)
彼女はおもむろに扉のノブを回した。
そしてコルチェの部屋へと向かう。
空腹感からくる頭痛を必死に抑えながら…



コルチェの部屋は1階へ続く階段のすぐ傍だった。
リリスが借りている寝室も2階にあり、ルシフェルの部屋も二人の間にある。
ただルシフェルの部屋からは灯りはなく、人の気配さえしなかった。
(どこかに出かけてるのかしら…)
昼間と同様に胸の奥で何かが刺さる。
ちくりとした小さな痛みが彼女を襲った。
リリスは大きく首を横に振ると、扉の隙間から灯りが漏れているコルチェの部屋の前に立つ。
それから、手に持っていた御守に軽く視線を向けてから、扉をノックした。
「…はい?リリスさん?」
間もなくコルチェの優しげなトーンが返って来る。
「ちょ、っと…待ってくださいね!」
中で少し小さな物音が響いてから、コルチェが扉を開けてくれた。
それから、不思議そうな表情でリリスを見つめ、部屋の中に通す。
「…何もないですけど、座ってください」
こじんまりとした部屋の中には小さな物置とインテリアのような丸いテーブルがあるだけだった。
リリスは案内されるままにコルチェのベットに腰をかける。
「…どうかされたんですか?」
コルチェはテーブルの上に散らかっていた本の束を整理しながら、質問を口に出した。
「…その、これ」
遠慮がちにリリスが手の平に置いてある物を彼に差し出す。
「…これは」
御守についていた小さな鈴が微かに身体を震わして音を立てた。
その瞬間、驚いた表情をしていたコルチェがその表情を和らげて、リリスに微笑む。
「…まさか、それを貴女が持ってきてくださるなんて」
コルチェは優しく御守を持っているリリスの手を包むように、上から自分の手を被せた。
「…リリスさん、それは貴女に差し上げます」
「え?…どうして?これはコルチェのでしょう?」
小さな御守が放つ独特な雰囲気。
「えぇ。よくわかりましたね?僕のですよ。…だけど」
コルチェらしくない溜息が彼の唇から漏れた。
「…数日前にルシフェルがそれを捨てたはずなんです」
コルチェの表情に苦悩の色が微かに現われる。
「それは僕たちの母の形見なんです。…持っていたら幸せになれるという話つきの」
「……」
リリスは真剣にコルチェの表情を見逃さないように見つめた。
「…そりゃあもう大事にしてたんですよ?
だけど、ルシフェルから見れば、過去の思い出に縋っているように見えたんでしょう」
悲しげな口調がふっと明るい音へと変化していく。
「ですから、ルシフェルは僕からそれを離したんです。
…でも、まさか戻ってくるなんて…」
小さく笑みが零れ落ちる。
「ですから、リリスさんに差し上げます。受け取ってください。
…捨てたもので悪いんですが」
(…コルチェ)
御守の姿を視界に入れたときの彼の表情が寂しげな色を放っていた。
「…わかったわ。私、これを預かっておく」
「…え?」
「コルチェが過去の思い出を思い出として…
縛られなくなって、ちゃんと前を向いていけるようになるまで…大切に持ってるわ」
「…リリスさん」
コルチェがそっとリリスの頬に手を触れる。
「ありがとうございます…」
それからすぐにその手を引いて、頭を下げた。

柔らかい風がそっと二人の間を流れる。
開いていたコルチェの部屋の窓のカーテンがそっと波立つように揺れていた。
「…もう夜も更けましたね。
それではリリスさん、ありがとうございました」
「えぇ。…おやすみ、コルチェ」
コルチェの笑顔につられて同じように微笑みながら、リリスは部屋を出ようとする。
「あ…!リリスさん」
しかし、その瞬間コルチェが呼び止める。
「……おやすみなさい」

彼の囁きが何かの曲のようにゆったりと耳に入ってきた。
リリスの金色の髪にキスをした唇を離して、コルチェは少し照れたように微笑む。
静かな風が音楽を作り出す。
今この瞬間にだけ流れる小さな旋律。
ゆっくりと閉ざされた扉を眺めながら、リリスはその心地良い旋律に耳を傾けるのだった。


back  next